東陽バス 日野RE101
今回はバス。
日野自動車の路線用車輛は、通常版のRB(後にRE)と高出力版のRCという2つのラインナップがあったが、こちらは前者である。現在となってはモノコックボディのバス自体が珍しいが、それだけでなく、この車輛は沖縄の交通史上でも記念碑的な存在なのである。
沖縄が日本に復帰したのが昭和47年。その後しばらくは、占領下と同様車輛は右側通行であったが、昭和53年7月30日を以て左側通行となることになった。それだけでも、いままでの交通常識が覆されるわけで大変なことであるが、特にバスにとっては深刻な問題が発生する―客用扉が反対側になってしまう。
まさか客を道路の真ん中に待たせるわけにはいかないので、右ハンドル左ドアの新車を導入して全車入替をするという、空前絶後の事態になったわけである。このとき入った車輛は、その日付から俗に「730車」などと呼ばれた。
爾来、沖縄のバスは車齢の同じバスが大多数を占めるという状況が続いていた。直後はみんな新車、10年後はみんな10年選手、と。
しかし、それも今は昔。30年以上も経過した現在では、車輛の入れ替わりが進み、街中には出自も新旧も様々なバスが行き交っている。その中で、沖縄バスのふそうMP117Kと、この東陽バスのRE101との2輛だけが、動態保存の形で残っている。特にRE101は、週に1回程度、運用に入っており、比較的容易に乗車できる。
今回収録したのは、城間線に入ったときの模様で、本島南部、沖縄県南城市の馬天営業所を起点に、国道331号、329号から環状2号に入り、那覇市の東部を抜けて県道153号を通り浦添市の城間に至る路線である。録音は城間地区を循環したあとに経塚方面に戻るところ、動態保存車輛の余生にしてはかなり苛酷な坂であるが、懸命に登る姿には心打たれるものがある。
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